この間書こうとしてたこと思い出した。
実家の庭に埋めた俺の宝物の件だ。

俺は10年前の夏、自分のそれまでの人生と感じた事について書いた二冊の本と写真やらアルバムやらを段ボールに入れて庭に埋めた。
しかし、薄々感づいてはいたが、土の中に入れるのに段ボールでいい筈がない。

そして数日前、俺は10年の時を経て庭を掘り起こした。しかし、それらしき物は何もなかった。割りと広範囲に、それも結構深く掘ったが全くなかった。誰かに掘り起こされたかとも考えたが、それならそれで誰かしらの耳に入ってそうだ。まあ親が掘り起こして知らん振りしてる可能性もあるが。
若しくは左官業者か?なんか久々に実家に帰ってみりゃ庭がへんな括り?みたいなのが出来てるし、その時か?

念のため俺はある程度庭を掘ったあとネットで調べてみた。
どうやら段ボールなら3ヶ月で土に還るらしい。ってことはそれより多少頑丈に出来ているであろうノートやアルバムなんかでも多分二年もあれば土に還るのでは。写真やおもちゃなんかも。ましてや10年なんか経てば金属とか以外は大体土に還るのでは。

俺の認識が甘かった。あのノートは間違いなく黒歴史ではあるが、それでも俺の思い出だ。
てか今思い出したが中学時代の軟式テニス部の時先生に大会終わった時に提出していたノートもこれに入れていた。
まあ、過去に囚われないことはいいことだな。嘘です。ホントは内心発狂しそうなくらいショックで、過去にいつまでもしがみつくちんけな性格なんです俺は。

しかし、じゃああのノートはどうするのが正解だったのか。俺の部屋のクローゼットの隅に段ボールごとおいても、俺の母が勝手に俺の部屋をつかってる以上いつかはその存在がばれて人生終わっていただろう。

もう後悔しても仕方がないのだが、そもそもあんなノートを書いたのが失敗だった。しかも自分で言うのもなんだがなかなかの力作だった。しかし、なんであんなものを書こうと思ったのか。あの頃の俺はもの凄い荒んでいた。恐らく鬱病だろう。これはもしかしたら今も治ってないのかもしれんが、とにかくそんな時期に太宰治の人間失格を読んでしまった事にある。彼の文章はなんか引き込まれるものがある。そして衝撃を受けた。「世の人間はこんなこと考えているのか」と。

その当時俺はもの凄い人の影響を受けやすかった。そして俺も太宰治のようにこれまでの人生の自叙伝を書こうと思った。自分にしか読めない汚い字で赤裸々に書いた二部構成の大作を。
そして節目の年にまた読み返そうと思い庭に埋めた。
そして10年目の今年、掘り返そうと思ったら
土に還っているわけだ。
まあ、これはもう本当に後悔してもしょうがない、逆に言えば
あの黒歴史ノートは誰にもバレることは無くなったわけだ。
まあ、今思えば地元に居たときの人生なんかどうでもいいしな。次に行こうではないか。